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この記事は瀬戸内分校プロジェクトをサポートする香川大学創造工学部メディアデザインコース柴田研究室の学生たちと共同で作成しています

Day4 里から海へ響く歌声 ~十三方里、十九町村~

2022年8月25日 午前


こんにちは。

瀬戸内海分校プロジェクト「さとうみ」も、ようやく全六日間のスケジュールの折り返しを過ぎ、四日目に突入しました。この日の午前の舞台は、香川県は高松市三木町の池戸公民館で行われました。また、イベントに参加した高校生も、さとうみの雰囲気に慣れてきたのか、あるいは疲れがたまってきたのか、だんだんと初日の固い表情が和らいできたように感じます。


池戸公民館について説明すると、大正8年に建てられた、現在でも大正ロマンの雰囲気を醸すステキな建物です。そして、実はこの池戸公民館、三木町の歴史を旧石器時代から近代にいたるまで網羅的に解説する展示資料と、それらを統べるエキスパート 千葉幸伸さん とがシンデレラフィットすることによって、三木町の「時の流れ」「空間」「歌」が織りなす相互作用を三次元的に体感できるのです!!

ちょっとよくわからなくなってしまいすみません汗


:池戸公民館入口


:講師の千葉さん


端的に説明しますと、午前は三木町文化財保護審議会委員である千葉幸伸さんに、三木町のありとあらゆる文化や風土を体系的に解説していただきました。遅れましたが、4日目の記事は、分校プロジェクト香川大学学生助手の奥野が担当させていただきます。


:講義場所もとてもオシャレ!淡い色のカーテンやライトがマッチしている。


ところで、香川県といえば「ため池」、その水が生活用水として用いられていたのは広く認知されていますよね。しかし、他の用途でも劣らず用いられていたことをご存じでしょうか。また、現在では陸続きの屋島は、元は海に囲まれた1つの「島」であったこともご存じでしょうか。


:写真は、まだ干拓が行われる前の高松。写真右側にみえるのが島であった屋島


千葉さんの説明によると、ため池の水は、特に現在の三木町がある場所において、江戸時代に屋島へと続く海を埋め立てる目的で行われた「新田開発」に主に使われていたそうです。私は、屋島が島であったことすら知らなかったのですが、干拓とため池が密接にリンクしていたことに驚きました。千葉さんは、まさに今回の「さとうみ」のタイトル回収ともいえるお話がたくさん聞けて楽しいです。


:昔の地図を用いて解説する千葉さん


そして、千葉さんのお話はあっというまに佳境に差し迫りました。なんと会場に集まった人全員で歌を歌うことになったのです!!

その歌の歌詞を載せます。そして、その歌に隠された視点の変遷に美しさを感じました。


1)いつの世、誰かさらしけん/色布なせる、虹色の滝/巌にくだけ、玉と散り/流れてやまぬ、水のごと/ここにたゆまぬ、努力あり/十三方里、十九町村


2)昔の人の、ひらきけん/四筒池、三谷、久米の池/めぐみは今もいいつぎて/いいよ、いそしむ、生業に/ここにたゆまぬ、進歩あり/十三方里、十九町村


3)扇の的を、いとめけん/屋島の浦の、その昔/うわやのかぶら、一筋に/こめし心を、かがみにて/ここに楽しき平和あり/十三方里、十九町村


時代を感じる歌詞ですね。

1番は、香東川に流れ込む小蓑川の上流にある虹の滝、2番は、その流れによってできたため池と周辺の人々の生活、3番は、那須与一のストーリーで海を焦点に、一連の水の流れを上流から下流へ、里から海へと視点が変遷していきます。これぞまさに「さと⇔うみ」。三木町の人々は、里と海の相互的な作用によってこれまでの文化を作り上げてきたというこ

とがわかりました。ちなみに、1番から3番まで歌詞の末尾にある「十九町村」ですが、もとは「十九ヶ村(じゅうきゅうかそん)」と発音しやすかったのですが、時代の流れによって「ヶ村」が「町村」に、歌詞の発音では「かそん」が「ちょそん」に変わったことで、少しちょそんとした面白い響きになったそうです。


すみません。歌っているときの写真はありませんでした。


:千葉さんお手製のハンドブック。さとうみ永久保存版。


午前の部は、これで終了しました。今日までのリサーチを総括するような、里と海の要素が密接にネットワークをめぐらせる感覚があったと思います。この記事を読んでくださった方の中で、もしまだ池戸公民館に訪れたことがないという方は、ぜひ足を運んでみることをお勧めします!


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